21/04/2026
出雲に来て、思いがけないご縁に出会った。
ツアーの集合場所で声をかけてくれた、ひとりの初老紳士。
言葉を丁寧に選びながら話す人で、気づけば半日、同じ道を歩いていた。
日立のIT部門で長く働き、日本の高度成長期をノンストップで生きてきた人。
一度がんを経験して、今年の春にリハビリを経て、この地に来たという。
神楽殿で再会して、出雲そばを食べて、
歌舞伎の祖とされる出雲阿国のゆかりの地に立ち、
稲佐の浜まで歩いた。
気づけば12,000歩。
でも、不思議と疲れはなくて、ただ心地よかった。
「スーさんと浜ちゃんみたいだね」って笑い合った。
年齢も、生きてきた時代も違うのに、同じテンポで歩ける時間があった。
出雲の神話は、神様を“上”に置かない。
八百万の神が集まって、話し合って、またそれぞれの場所へ帰っていく。
人も同じで、
すれ違い、重なり、少しだけ同じ道を歩いて、またそれぞれの場所へ戻っていく。
ヤマタノオロチの中から生まれた剣のように、
人生の混乱や痛みの中から、誰かに渡せる“やさしさ”や“視点”が生まれるのかもしれない。
その人は、自分なりに積み上げてきた生き方を、静かに語ってくれた。
職種も時代も違うのに、どこかで深くうなずく瞬間があって、
同時に「そんな工夫の仕方もあるのか」と、新しい視点をもらった。
今日の出会いは、何かを残すためのものじゃなくて、
ただその時間そのものが、もう十分に意味を持っていた。
またそれぞれの場所で生きていく。
でもきっと、あの時間はどこかでつながっている。
出雲は、そういう場所だった。